「好きなピアノでコンクールに出たら共演者と比べて落ち込んでしまいました…」”やりたいこと”が”やらされ仕事”に変わるときとは?
新たなカベは儲けもの
質問者: 友達のピアノの発表会に行ったときに、自分と比べてしまって、結構落ち込んでしまいました。身近な人にも、私より上手いねーと言われて、がーん、と、落ち込んでしまいました。
石川: なるほど。ピアノを再開して発表会にまで出るようになって共演者と自分を比べるまでになったのは、ピアノという趣味のゴールを設定して行動したから生まれた状況だよね。ちょっと前に、趣味のゴールとして「ピアノを演奏するぞ」「コンサート見に行ったりするぞ」と思い立ち実際に行動を起こさなければ、出会えなかったことだよね。
そこまでのステージに上がったって考えたほうがおトクだよ。共演者という新たなつながりができたり、自分の基準を引き上げてくれるライバルができる。俺はあんまりやらないけど、ゲームでも、ステージが上がって、どんどんボスが強くなっていったりするじゃん、そんな感じ。どんどんそうやってステージ(コンフォートゾーン)が上がっていく。
質問者: そうですね。
他人と比べる=スコトーマ外しのチャンス
石川: そう。別に他人と比べてもいいんだよ。他人と比べるっていうことは、必要なことでもある。自分を再認識してスコトーマを外す良い機会だからね。
だけど、比べた結果落ち込むことは避けたいよね。落ち込むということは、自分で自分を悪く評価してエフィカシーを下げているということだから。
そういうときは、新たなステージに上がった自分を褒めてあげればいい。新たなステージに上がった自分を、「ここまで来たんだな」って褒めてあげる。
その共演者と自分を比べて、「こうはなりたくない」「もっとこうしたい」と反面教師にできるし、「○○は自分の方がすごいぞ」「そう考えると、自分は○○が強みなのかも」というふうに、他人と自分を比べてはじめて、自分が大切にしたいものが見えるときもある。こうしてスコトーマが外れたら、それを新たにゴール設定していけばいいよ。
質問者: そうですね。確かに、その人に対して、「もうちょっとこうしたらいいのに」と思うところもあって、そういうところは私がどんどんやっていったらいいかなと思えました。
“やりたいこと”が”やらされ仕事”に変わるとき
石川: うん、いいね。ただ、競争の土俵には立たない方がいい。やりたいことというのは、競争の土俵に立った瞬間に、やらされ仕事に変わるから。
ピアノのコンクールっていうゲームの空間の中で楽しむのは全然いいことなんだけど、コンクールに出ようと思ったのは、そもそも、それ(競争)だけが目的じゃないでしょ。それはただ音楽を楽しみたいだけなのかもしれないし、自分の価値や世界観を作り出すための手段なのかもしれない。
もしそうであるとしたら、コンクールの審査員にどう評価されようが構わないよね。コンクールを楽しむために、「コンクールでどう演出しよう」っていう考え方は全然ありだと思うけど、最終的に目指すゴールは、もっと別にあるはず。
本来「やりたいからやる」ことだったのに、競争の場に行った瞬間に、例えばクラシックとはこういうもの、とか、上手いか下手かとか、そういう他人の評価の軸に変わっちゃう。最終的に目指す場は競争の場ではない。
質問者: 最終的な自分の表現するもののために、コンクールを利用する、みたいな感じですね。
石川: そうそう。自分の技術も上がるし、共演者と空間を共有することで刺激も受けられるし、いい空間だよね。ただ、「競争の場がすべて」とした瞬間に、競争に勝てなかった自分を否定しちゃう。そんなもんじゃないよ、自分の価値って。だから、ゲームだと思ってどんどん競争の場をどんどん利用していけばいい。
質問者: そうですね。ありがとうございます。
聴き手(質問者)と文章の書き起こし担当: yoshida
本日もお読みいただき、ありがとうございました。